人に歴史あり


TMのファン歴のようなものを、年表形式で。

てっちゃんにフォーカスしてるけど、これを読むと、

やっぱり私はTM Networkが好きだなぁって思う(^_^;)

1984年 春 週間セブンティーンの裏表紙で、TMデビューを知る。3人は派手な衣装がやけに目立ち、サングラスの人と、ナヨナヨッとした感じの男(笑)、そしてちょっと顔が太めのウツを見て、友人に「なんか、またワケわかんないのがデビューするね。」という衝撃の一言を残す。
そしてまもなく 中学生の頃からラジオっ子だった私、その日もFM福岡を流し聞きしていた時、「金曜日のライオン」という言葉を聞く。なんじゃそのタイトルは、と思いつつ、おぉ!これってあの派手なグループの歌だよ、と思って、ちょっと聞いてみたら、デジタルドラムのポンポン言う音が何ともミーハーぽくて、でも、日本にはない感じ。洋楽っぽい感じ!で、ぱっと浮かんだのが、カルチャークラブ。その頃って、いわゆる「ニューロマンティック」系ポップスってのがはやってて、私も大好きだったから、へぇ、日本にもこういうグループがいるんだ?って思って、これ以来TM Networkというグループが私の心の中にいた。
その後 またしてもFM福岡の番組で、「8月の長い夜」を聞く。♪君の声が泣いている 8月の長い夜〜、ウツの高い声にゾクゾクした。あとあとまで、このフレーズだけが私の頭の中をグルグルしていた。で、これもあのグループの曲だと、気になって気になってしょうがなく。
  私は当時洋楽ばかり聞いていて、日本のミュージシャンには興味は一切なかった。そしてみんなの前で「ワケわからないもの」と言ってしまった手前、今更「TMって結構いいと思うのよ」とは言えなかった(^_^;)。この頃はお金もなかったし親も厳しかったのでライブを見に行くという概念もなく、雑誌を買うという事もしなかったので、入ってくる情報は全てラジオから。TMの曲を聴けるのを楽しみにしていた。でも、曲は追ってたけど、ビジュアルは全然興味なかった。…よく考えたら、金曜日のライオンから8月の長い夜に飛んでるのよね。その間の曲はどうしたんだろう(^_^;)記憶がない(^_^;;)まぁ、この頃はホントラジオばっかりだったからね、ラジオで聞く事がなければ情報は入ってこなかったしね。
   これ、何かどこかで聞いた事が…と思っていたけど、FBSのジングルが「Fantastic Vision」のサビである事にようやく気付いた。そしてそれは、ジングルだけではなく天気予報のBGMにも使われていた。少なくともその後TMNが終了するまでは使われていたが、今はどうなのだろう?
1986年3月 高校卒業後、家庭の事情により仙台に引っ越す。久留米を離れる時、同級生がたくさん見送りに来てくれて、泣いたね。電車がホームを離れてから、電車の中ウオークマンで繰り返し聞いていたのが、渡辺美里の「My Revolution」。♪夢を追いかけるなら/たやすく泣いちゃダメさ/君が教えてくれた/My Fears My Dreams 走り出せる。この歌にはそれからずっと、励まされっぱなし。美里のファンになったのもこの曲から。
  この年は浪人してたんだけど、大学に落ちたのがかなりショックで、ちょっと頭おかしくなってた時期だったんで(笑)、音楽というものから(というか外界全てから)遠ざかっていたため、TMに限らずなーにも知りません(^_^;)。
1987年 Self Control」発売、そして夜ヒットへの初登場。私が初めてTVで見たTMじゃなかったかな?(記憶に自信なし)3人のあまりのカッコ良さにお目目キラキラ。えーなんなの?これがあのTM?見た目全然違うじゃん!えー、ウツよりてっちゃんの方が全然カッコいい!(ウツゴメン!)やっぱり、実際に動いているものを見ると印象は変わるものである。というわけで、それ以来、てっちゃん大好きになる。この頃から、男性の趣味が180°変わる(爆)。
  NHK仙台・FMリクエストアワーと出会う。ペンネームはコムロック。氷室京介がヒムロックなので小室な私はコムロックというわけ。リクエスト番組でありながら、パーソナリティの意にそぐわない曲はかけないというこの偏った番組のおかげで、私は以降、TMだけでなくジャパニーズロックへ昏倒していく。
同年4月 Get Wild」発売。独特な符割り、それにのっかる文字数の多い歌詞、何重にも重なる音、♪it's your pain or my pain or somebody's painは初めて聞いた時にはビックリした。月曜夜7時ちょうど夕食どき、シティ・ハンターを家族で見てたなぁ。
  「Get Wild」発売直後、またしても「夜ヒット」に出演。大ブレイク寸前だった。調べてみたら、幸運な事に仙台公演はこれからだったのでダイエーのチケット売り場にチケットを買いに行く。ところが、私の予想とは裏腹に、売れ行きはサッパリ。1階14列目という驚きの席番をゲット。
同年4月13日 妹と、宮城県民会館(略して県民)にてFANKS!BANG! THE GONG! Tourを見る。キャパ2,500人の会場には、15列目から後ろに人はいず。そう、私たちの後ろの列には、オーディエンスは誰もいなかった。驚愕の事実。2階の最前列にはタレ幕を持ってウケ狙いの人が少数いるくらいで。会場には意外にも、男性が多かった。あのビジュアルだから絶対キャーキャーのライブだと思ったのに、ほんと意外。でも、ライブ見たらなんとなく納得。は?これ、なに?こんな曲あったっけ?って感じで、アレンジされまくった曲がとにかくカッコいいんだよね。「Get Wild」なんか、なんだか全然わかんないもんね。果たしてこの曲の変わりようは何なのだと、「金曜日のライオン」を聞いた時思い浮かべたカルチャー・クラブが、どっかいっちゃった。こんなの、今まで見た事ない!
  県民のライブ後に、会場の外でチラシが配られてたのね。何かなぁと思って見たら、スタジオを貸し切ってのTMディスコライブのようなものを開くので来てね、というやつだった。なんだいそれ?!とか思ったんだけど、配っていた人たちは私設ファンクラブの人たちで。"TM-U-NEEDS"っていう名前はてっちゃんにつけてもらったんだってよ(その後てっちゃんがまるで同じ事言ってたよね、字はちょっと違うけど。でも笑っちゃった)。で、この人たち主催のそのディスコライブに行ったんだよね。ワンドリンク付きで2,000円くらいだったと思う。会場には軽いお菓子みたいなものも置いてあって、密室で大音量でTMの曲をかけて、みんなで踊り狂うというすごい企画だったんだけど、県民でライブ見た直後だったんで、テンション高いまま、踊ってたね(爆笑)。「Dragon the Festival」の掛け合いを知ったのもここだった。
   ザ・ベストテンにスポットライトで初出演。てっちゃんは自慢のPC-9801で「My Revolution」のサビのプログラミングを披露し、黒柳徹子に「生きててよかった」と言わせた。ベストテン出演に緊張してしまった木根ちゃんは出だし、自動演奏のピアノの美しいイントロにギターの「ビョイ〜ン」という音を被せてしまい、ウツもサビの歌詞を飛ばしてしまう。二人で緊張しまくりだったらしい(笑)。この時のビデオ映像は宝物だ。
同年7月 Gift for FANKS」発売。TMは大ブレイクしてしまう。CDジャケットと同じ絵の巨大ポスターをゲット、部屋に貼ってましたねぇ。同時にそれまでにリリースされたLPを収集に走る。過去の空白の部分を一生懸命埋めてました。「Gorilla」の中の「confession」が好きでね。♪君から届いたエアメイル/眺めて暮らしたこの街にも/なじみの笑顔が増えてきた、って下りが好きで。大学に向かうバスの一番後ろの席が私の指定席で、そこから街並みを眺めながらこの曲を聞いて、浸ってました。仙台には友達がいなかったからね。寂しさを埋めてくれたのが、いつでもTMだった。
同年10月〜 アルバム「humansystem」発売。LPで購入。モーツァルトの「トルコ行進曲」をモチーフにした「humansystem」、最初はあんまり馴染めなかったんだけど、その後もglobeライブでもピアノソロで弾かれる等、「TM」というより「コムロ」な曲になってしまった。「Telephone Line」とか大好きだったし、間奏のキーボードソロを聞くとそこだけで卒倒モンだった。大好き。「This Night」はカナちゃんの事を書いた曲で、そのまま結婚しちゃうし、もー、すげー悲しかった。ロンドンでもどこへでも行けって感じ(笑)
  TMの勢いは止まる所を知らず。シングルを出せばチャート入り、トップテンやベストテン、夜ヒットに出まくる。深夜にはミュートマスペシャル(だったような)特別1時間番組が放送されるほどの熱気。この番組中に、年明けの仙台公演の追加があると知り、チケットをゲットに走る。県民の2階だったけど、ソデ部分だったのでよく見えたなぁ。
でさこの番組で、武道館の模様を見たわけよね、私、そう、「FANKS CRY-MAX」ってやつ。あれを見ながら、よかったねぇ、念願の武道館だね、って、TVで見ながらウルウルしてました。あの場所にいれた人、いいなぁ…。
同年12月 NHK-Fリクのすっかり常連になった私、パーソナリティに「いかにTMの良さを知ってもらうか」に邁進していた。でも私がどんなにTMの事を持ち上げても、パーソナリティの「ボツ」の一言でNGに。しかし、毎週欠かさずハガキを出していたせいか、この年の最優秀新人賞を獲得、NHKのスタジオに招かれた(笑)。賞品はNHKのロゴ入りボストンバッグだった。それからNHKのスタジオには何回も遊びに行ったなぁ。
1998年3月 KISS JAPAN DANCING DYNA-MIX」この公演が仙台であるって知った時、どうやってチケットを取ろうか悩んだ。もう普通の手じゃ取れないくらい、TMはブレイクしてたし。でもこの時は妹のツテでチケットを取ってもらう事が出来たんだな〜。しかもアリーナ10何列目で!奇跡的だったよなぁ…
  「僕らの7日間戦争」で「SEVEN DAYS WAR」が主題歌になる。夜ヒットに出た時、まだ若かった宮沢りえが出たのが印象に残ってますね。で、この曲が出たという事で、Fリクにリクエストしたんだよね。私は常連だったから、何の問題もなくかけてもらったんだけど、曲が終わった後のパーソナリティの一言は「ずいぶんつまんない曲作りましたね〜」だった(笑)。実は私も、この歌はイマイチだと思ってたので、ラジオ聞きながら思わず爆笑だった。
1989年2月 CAROL TOUR」。仙台は実に7回も公演があって、一カ所で7回もやるのは東京、大阪と仙台だけ。何故なのかは未だわからず。全部行きたいなぁと思ったけど、3日も行くからいっかぁ〜、とも思ってたかな。あんまり執着がなかったね、今と比べて。チケットは毎日色が違ってた。コカコーラの紙コップとかまだ取ってあると思う、実家に。このライブから、TMは県民じゃなくてイズミティでやるようになってさ。県民には自転車で行けるのに、イズミティだと車だし、時間かかるし、道は渋滞だしで大変だったんだよなぁ。けどこの時の事って覚えてるなぁ。会場の雰囲気とか、日が暮れていく様子とか。思い出深いなー。
同年5月 DRESS」とか発売になる。当時「リ・プロダクト」とか言ってて、それってアレンジを変えたのとどう違うのよ?と思ってた。「アレンジ違い」でいいじゃん、とか言って。ディスコ最盛期で私も毎週のようにマハラジャに通ってたので、「Get Wild '89」はTMの歌としてはすごい違和感を感じていたけど、まぁこういうユーロビートっぽいのもいいのかなぁと思ってた(^_^;)。てっちゃんってやっぱり新しい事考えるよねぇ!なんて、強引に思ったりして(笑)。
  てっちゃんのソロ発売ってこの頃だったっけ。シティハンターのオープニングが「Running to Horizon」で、TVで聞いた瞬間、さすがの私も真っ白になった(笑)。イントロはどこかで聞いた事のある、というかそれTMじゃんって思って、で、てっちゃんの歌を聞いたうちの母親は「誰か止めなかったの?」と言ったね…。けど私このアルバム好きだよ。今でもよく聞くし。
  ソロ「Christmas Chorus」でトップテン入りしたのだけど、演奏はカラオケだしてっちゃんは口パクだしで、「おいおいそりゃないだろうよ」とTVの前で叫んだ事数回。せっかくウオーレンとかいるんだから、空演奏しないでちゃんとやれよ、と見るたびに思ってた(笑)
  この頃に、東京ドームで「CAMP FANKS」ってやったじゃん、ラジオで、それのオープニング曲当てクイズってやってたのね。あれどこの放送局だったかなぁ。仙台から聞いてると、電波の入りがすっごい悪くて、コンポのスピーカーに耳あてて聞いてたのよね、そいで、オープニングは「RAINBOW RAINBOW」しかないって思って、電話したんだけど全然つながらなくて〜。てっちゃんやウツが「Get Wildはたくさん来てますが、違いますね〜」って言ってるのを聞いて、もう、発狂しそうだった(笑)私絶対当たってるって!って思って、電話し続けるも全然繋がらず。結局番組内で正解の人がいなくって、もう、電話さえ繋がっていれば豪華プレゼントは私のものだったのにぃ〜。この頃はSFロックステーションとか、雑音混じりでよく聞いてたなぁ。神社でBとか土管でCとかあったよねぇ。
  TM Networkリニューアル宣言!世間は色々と賛否両論あったけど、私は特に何とも思わなかったかな。だけど、グループ名が3文字になったのはあまり好きじゃなかったね。音はハードになったけどそれは受け入れてた。あぁでも何が嫌だったって、てっちゃんが髪を伸ばし始めた事だったかな。あの茶髪のてっぺんがツンツンしたやつ。もー、好きじゃなかった。
  マクセルのCMに「TIME TO COUND DOWN」とか「POINT OF LOVER'S NIGHT」とか使われてたよね。UD NETWORKね。策略に乗せられてテープ買いました。CMはビデオに撮ったはずだなー。
1991年

2月21,22日

RHYTHM RED Tour」。3日行ったけど、席は2列、3列、2列。てっちゃんはステージに向かって左側だったんだけど、私はその真ん前。就職で4月から東京に行くのが決まってたので、「こんな前でTMを見るのはこれで最後」って思ってて、もう、これ以上ないってくらい目がキラキラしてた。…が、「The point of Lover's Night」でウツが♪君がuh〜好きだから〜って歌った時目が合ってしまい、一瞬グラッときたのはここだけの秘密(^_^;)。この日はカメラ入ってて、のちに「WORLD'D END I」として発売されました。
2月23日 3日目は最終日。いよいよ、今日でしばらくTMを見る事もないのかな…って漠然と思ってた。そんな時、かねてからコンサートの裏方のバイトをしていた友人から、「今日のTM、ケータリングの女の子が足りないらしいんだけど、やらない?」と言われた。えぇぇえ〜…。ケータリングとは、アーティストや関係者の身の回りの世話をするバイトの事。ようはパシリである。私は悩んだ。ヒジョーに悩んだ。でも私は、やっぱりライブをとった。ライブが好きだから、TMの歌が聴きたいから、てっちゃんがキーボードを弾く所を見たいから。ケータも惹かれるものはあったけど、でも、ライブをとった。その代わり、私は私の代わりに妹を送り込んだのである(笑)。で、私はライブを楽しんだのだけど、妹は、すごい体験をしていた…
  ライブが終わって、モロモロの事を終えて妹が裏口から出てきたのはライブが終わってから2時間くらい後だった。出てきた妹は、両手に抱えきれない位色々なモノを持っていた。花だとか食べ物だとか、何やら色々。聞いてみたら、それらは全て、ファンからTMの3人へのプレゼントだった。ようは、贈り物をしても、よっぽどの物じゃない限り、本人たちはもって帰らないそう。で、マネージャーさんにもらったんだそうで。てっちゃん宛なのだろう、フェラーリのミニチュアが3台くらいあって(^_^;)
   んで、何をやったかというと。てっちゃんにカップラーメンを作ってくれと言われたので作った。でも彼は半分も食べてなかった。おいしくなかったらしい。で、「マクドナルドが来ないと着替えない」という伝説の言葉を口にしたらしい(爆笑)これは私の友人が買いに行ったらしい。その時葛Gに、ビデオカメラ用テープを買ってきてくれと頼まれたらしい。葛Gはとても面白い人だったと妹は言っている。浅倉大介はなにやら芸能人を気取っていて好きになれなかったとも言っていた(笑)

妹が椅子に座っていると、楽屋の戸が開き、葛Gが妹を呼ぶので、楽屋に入ったら、マクドナルドも来てご機嫌がよくなったらしい小室センセイがキーボードで「LET IT BE」を弾きだし、TM+葛G+大ちゃんで大合唱。妹はただただあっけにとられていたらしいが、何故そこに呼ばれたのかもわかっていなかったらしい(笑)そりゃそうだよなぁ。ていうかその話が一番羨ましかった(T_T)

いよいよステージ、という時、楽屋から着替えた小室センセイが出てきて、妹に「ユンケルちょうだい」と言い、妹がフタを開けて渡そうとすると、「ストローもさして」と言ったらしい… …今思えば、妹はどうしてそのユンケルを持って帰ってきてくれなかったのか(爆)

91年 私はその後東京へ。NHK-Fリクともお別れ。TMはその後、「EXPO」を発売。RHYTHM REDとはうってかわっての、TMっぽい作りの音だった。さすが「EXPO」というだけあって色々なタイプの曲があったよね。それはそれで面白かったしいいアルバムだとは思うけど、リニューアル時より新しくなったのは、キネちゃんが歌ってたり、てっちゃんが歌ってたりした事。これは、休止中のそれぞれのソロワークの影響が出たっぽくて私は本当はあんまり好きじゃなかった。ボーカルはウツじゃないとイヤなの、私は!
  そういえば、東京に来たら絶対する事の中に、原宿のショップに行くというのがあって(^_^;)、最初は竹下通り中程から右に折れたところにあって、近所にはねるとんショップとかあった所ね、んでそのあと竹下通りの入り口の所に移動したんだけどさ、まぁ、何回も行きましたよ両方とも。ただ、仙台にいる時から思ってたんだけど、TMのグッズって、お世辞にもセンスがいいと思えるものが少なくて(爆)、毎回、店内を見回すだけでほとんど何も買わなかったな。買ってたのはツアータオルくらいか。
  シングル「WILD HEAVEN」発売。裏が「Dreams of Christmas」の91年MIXということで、シングルを買わない主義なんだけど思わず買ってしまった。実は私はこの「WILD HEAVEN」は、TMの中でBest3に入る曲。東京なんだよね、この曲って。大好き。今でも、落ち込んでどうしようもない時にはこの曲を聞く。
91年冬 てっちゃんのソロ「永遠と名付けてデイドリーム」発売。マドモアゼル・モーツアルトだね。相変わらずのあの歌声もそのままに、でも、私はこの歌大好き。てっちゃんの歌い方も大好きだし詞も大好きだし。繰り返し繰り返し聞いてた。舞台の方は見に行こうとかは思わなかったな。本人出てるわけじゃないしね、あんまり私はそういうのには興味なかったね。やっぱ私、TMが一番好きなんだよね。
92年4月11日 TOUR EXPO」 in横浜アリーナ。実はこのツアーって、前半と後半に分かれてて、それぞれ内容が違ったんだよね。だから、ファンな私としては、当然両方行きたかったんだけど、この時期やってたローソンのなんとかパビリオンとかも外れたし、前半のツアーも行けなかった。で、やっと行けると思ったら、後半のツアーの、しかも横アリ(東京取れなかった)、しかも立ち見!その頃は一般の電話予約しか私には手段がなかったので、それしか取れなかった。仙台時代と比べて、この落差は何!?で、行ったけど、立ち見なんでほとんど何も見えなかったし、内容もほとんど覚えてないの。「We Love the Earth」とかやったのだけ覚えてる。そんなレベル。
92年 てっちゃんはYOSHIKIとV2結成しちゃって、髪立ててビジュアル系になってるし。…まぁ、デビューの頃を考えれば同じようなもんかもしれんけど、いや、YOSHIKIとのダブルのピアノはすごいなとも思ったけど、でも、歌うのてっちゃんだし。うちの親はYOSHIKIの事嫌いじゃなかったから(私が色々吹き込んだせいかしら)、V2の事は「かっこいいねぇ」って言ってたけど、でもやっぱり「小室さんが歌う事はYOSHIKIはどう思ってるのかしら?」とずーっと言ってた(笑)。確かに私もそう思う。しかしYOSHIKIがボーカルとるとも思わないし、あのドラムで歌うはないだろう。とすると、取捨選択によりボーカルはてっちゃんなのか。…と考えないと納得出来ないというか(笑)
93年 EXPO以来TMは活動を休止してしまい、ウツもソロワークを始め、もうTMで何やってくれないんじゃないかってすごい不安だった。ウツの「バタフライ」は私には理解出来なくて、すごく嫌だった。ウツはTMのボーカルのウツでないと嫌だった。てっちゃんが作った歌以外歌って欲しくなかった。当然、アルバムなんか買わなかったし、歌番組に出ててもほとんどチェックしてなかったなー。
93年秋 シングル「一途な恋」発売。「WILD HEAVEN」以来のシングル発売は嬉しかったけれども、なんだかイヤーな予感もしてたというか。TM初の、日本語のタイトルのシングルで、歌詞に英語が出てこないという事でファンの間では注目を集め、ジャケットと同じCMが話題を呼んだ。薄いビニールの幕の向こう側にいる3人。半透明に見える状態の3人が、そのころの彼らを表してた。私からしてみても、そうやって、シングルはぱらぱらと出すけど何かはっきりしてない、ぼやけたイメージがあって。はっきりしてよ!って言いたくなるような、そういうモヤモヤ感があって、私はあんまり好きじゃなかったな。(よく考えてみたら、やっぱり私、TMNになってから違和感あったのかなぁ?)
93年12月1日 Act Against AIDSの第一回目。プロモーターから来たハガキに、ウツと木根ちゃんの名前があったのね。てっちゃんの名前はなかったんだけど、ウツと木根ちゃんが2人同じステージに立つという事だったので、ほんの少しの期待をして、チケットを取った。AAAはこの年が初めてで、オムニバスな内容にちょっととまどいがあったんだけど、さて!岸谷五朗だったと思う…彼に紹介されて出てきたウツと木根ちゃん、そしててっちゃん!名前がなかったのに、いきなりの登場。そして出てくるなり「SELF CONTROL」。嬉しくて嬉しくて、代々木の2階スタンドだったんで、音はメチャメチャ悪かったんだけど、それでもただただ嬉しくて、泣いたよなー。あれすごく、鮮明に覚えてる。わたし。
94年4月20日 嫌い嫌いと言いつつ、ウツのライブに行ったんだよね。なんで行こうと思ったのかは覚えてない。一回見とくか、と思ったのか。で、そこでですよ。あの問題発言があったのが。バンド紹介の時だったかに、サポートの子(名前忘れた)が「5月18,19はTMを見て」って言ったんだよね。…え?それ、なに?TM、何かやるの?会場がすごいざわついたのを覚えてる。そりゃそうよ。活動休止中じゃん。それなのに、それはなに?ライブをやるって事が既に決まってるわけ?ウツが「まだ言っちゃダメだよ」って言ったんだけど、もう、会場パニックになってましたね。でも、本当にパニックだったのは、その次の日…
94年4月21日 TMN終了宣言。新聞一面広告、出ましたね。昨日の意味はこれだったんだ、ってわかって、「終了」の意味が理解出来なくて、とにかく、ショックでショックで、死ぬかと思った。TMN-MLに入ったのがAAAの前後頃だったかな?そこからの情報で知ったんだったかな、で、この日の夜にオールナイトニッポンで詳細発表って聞いてたんで、あぁもう、これはやばいのかもね、って思ってた所はあったんだけどね。この日は、10年前にデビューした日だったしね。彼ら(というかてっちゃん)、こういうの好きじゃん(爆)。けど、でも、やっぱり早いよって、長い休止の後に出てきたらコレっていうのはないんじゃないの?って、うーん、今でもそう思うかな。終了の意味とかを、メディアから色々と考えて、一生懸命自分を納得させようとしてた。
  それから、5月のライブのチケットを取るために、MLで一大プロジェクトが組まれて。18と19どっちに行きたいのかのアンケートから必要枚数を割り出して、電話して取れた人からMLに報告をする事、とか色々ルールを作って、すごいあの時って一致団結してたよ。すごくいい思い出。
5月18日 ライブ一日目。ライブ前にドームの前で前オフやって、みんなで集合写真撮って。オリジナルの名札作ったんだよね。席は一塁側のスタンドで、金網が邪魔だったけど。ライブ前って内容への期待があるから、始まる前ってまだキャピキャピ(死語)してたけど、暗くなって「RAINBOW RAINBOW」の最初の音が出て、TMのロゴ(あの、アナログからデジタルに変わっていくやつ)がスクリーンに現れた瞬間、現実に戻ったね。「終わり」を感じてしまって、涙が出た。
それでも一日目はまだ、ライブを楽しむ余裕はあった。懸案だった(笑)「
Dragon the Festival」もやったし、「Get Wild」も「SELF CONTROL」も、こういう曲が「持ち曲」である人たちを好きな自分が好きっていうか、やっぱ、誇りでしたね。こんなカッコいい人たち、他にいないでしょ、って。NHKのニュースで取り上げられちゃうんだよ?「今東京ドームでTMNのライブが行われています」って。いろんな大物バンドが解散するって話題になっても、ライブ中にNHKの入り中が入るのは、TMくらいのもんでしょう!
てっちゃんは髪を七三にきっちり分けてて、この頃のメディアではほとんど銀縁の眼鏡をかけてたんだけど、「Professor小室哲哉」って感じがしてました。このライブの時って、てっちゃんがヘッドセットをつけてなくて、ていう事は、コーラスをしないって事じゃん、それがすごい解せなかった。それだから余計、「何すましてんだか」って思ってたんだよね(笑)
5月19日 いよいよ最終日、この日、名札をつけた私たち、集まっていた所に友人が一般人に「これは何ですか?」と聞かれ、MLというものを説明するために「僕たちはコンピュータを使ってメールでやりとりしてる…」と言ったら、TM=コンピュータという所で関係者と勘違いされていたらしい(笑)。この頃ってインターネットっていう言葉はまだなかったし、電子メールも使ってた人ってコンピュータ業界関係者と一部のオタクしかいなかったしね。だから勘違いされたのかもしれないけど、あの頃を思わせるエピソードじゃないですか。
  この日はMLのチケット取り作戦で譲ってもらってアリーナCブロックで見たんだよね。けど、前日から思ってたけど、この日のステージってなんかえらい高い所に組んであって、前の日スタンドから見てても違和感があってね、あれじゃあアリーナの前の方ってすごい見上げなきゃいけないんじゃないの?って思ってた。負け惜しみでもなんでもなくて、あれはかえって前の方じゃない方がいいのかもなぁ…って思ってた。アリーナCはほどほどに、そこそこに見えましたが。
ライブは「1974」から始まって。前の日やらなかったから今日のオープニングだろうという事は容易に想像出来たんだけど。2曲目が「Still Love Her」で、これは、直前ののNACK5の番組で「ドームでやって欲しい曲は?」っていう電話投票があって、その6位になった曲でね。それで、シングルじゃないのに意外だ、って彼らは言って、でもこんなに人気が高いから、やる予定はなかったけど、やるよ、って言ってくれたのね。すごい嬉しかったなぁ。だから、ライブでこれを聞いた時は、何日か前のその事がすごく思い出されて、ウルウルしてた。
で、とにかくもう、最後の「Nights of the Knife」なんか、泣いててほとんど聞いてなかった。もう、いい歳してわーわー泣いて、「どうして〜?」「終了なんて嫌だぁ〜」って言いながらひたすら、びゃーびゃー泣いてました(^_^;)。ええ。
その後 TMN-MLの管理人さん宅でよくオフミをやってたんだけど、NHKでドームライブが放送されるという事で、何人かで集まって、見たんだよね。見てる間中みんな一言も口を聞かずで黙ってて、私はもう泣きそうになりながら、でも恥ずかしいから一生懸命堪えて見てた。この時は映像を見たけど、私的にはこの日の事は封印しておきたくて、以降は買ったビデオ2本は見ていない。ライブアルバムは買ってないし、「Nights of the Knife」は聞くと泣いちゃうから、カラオケとかでも、一切禁止!他人が歌うのも禁止!(笑)
1994-1999 もー、私としては、どうでもいいわけですよ。てっちゃんが何をプロデュースしようが、それはそれであって、TMじゃないもんね。TRFの事は、後期TMを継承してる所があったからまだ入りやすかったけど、globeに至っては当初文句言いまくりで(笑)なんでそんなの(そんなのかい(^_^;))の中にてっちゃんが入らなきゃいけないのよって、思ってたし、公言してました(笑)。で、いきついた結論は、あそこにいるのはてっちゃんではなくてTKだから、別人なのよって事(笑)…けどねー、その別人のTKが、弾くんだよねTMの曲をピアノでさ。KX-5持ってきて、壊すのよね。それを見るたびに私泣きそうになってさぁ、「ヤメテー!」って叫んでたよなぁ(^_^;)。周りの人に「なんじゃこいつ」って目で見られた事多数(爆)
  ウツと木根ちゃんの方はというと、やっぱりどこかで、ウツの声が聞きたいって思ってるのね、私。TMのボーカルじゃなきゃイヤなんだけど、でもなんだか、彼の声を聞かないとますます落ち込みそうで、どんどんTMが離れていっちゃうような気がして。easy attractionツアーの最終日に武道館で"Be Together"やられた時は、思いだし泣きしちゃったけどね。
そして1999 2000年を目前にして、てっちゃんTM Network復活宣言。終了してから5年、意外と早かったような気もする。けど、さすがイベント好きの彼、2000年てとこに合わせてきたね。

私はというと、その復活宣言から半年経ったその年の年末に彼らが同じステージに立つのを見るんだけどね。それが私にとっての復活。

2000年7月27日 歴史に残る日ですね、この日は。誰もが待っていたこの日ですよ。良かったよねライブ。曲数少なかったし、ライブの定番の曲もいくつもやらなかったけど、待っていたかいがあった。最高にカッコよかったもん。こんなに素敵な3人のファンでよかったと思うの!
2000年冬〜 そして、TM Networkのツアースタート!全国各地、回れるだけ回る予定。大阪、新潟、福岡、名古屋、仙台、東京。初めてTMを見た、仙台にも行くよ。会場も、イズミティじゃなくて県民なんだよね。なんだか今から、一番楽しみな場所だったりする(^_^)。

To Be Continued...


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